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無料ダウンロード 月日は百代の 286919-月日は百代の過客にして 意味

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抄録 松尾芭蕉の『奥の細道』は、「月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり」で始まっており、李白の「春夜宴桃李園序」(古文真宝後集)の冒頭部「光陰者、百代過客」を踏まえたものとされる。 その後、「弥生も末の七日」(元祿二年〈一六八九〉三月二十七日)に深川の芭蕉庵を出発する。 門人に見送られ、彼等と千住で別れる時に「行く春や 三代の栄耀一睡のうちにして、 (三代にわたって栄えた藤原氏の栄華も一睡の夢のように消え、) 大門の跡は一里こなたにあり。 (大門のあとは一里ほどこちらにある。秀衡が跡は田野になりて、 (秀衡が住んでいた場所は田んぼになっていて、) 金鶏山のみ形を残す。 夫れ天地は万物の逆旅にして、光陰は百代の過各なり。 読み: それてんちはばんぶつのげきりょにして、こういんはひゃくだいのかかくなり。 通釈: そもそも天地は万物を宿す旅館のようなものであり、(その中に来るものあり去るものあり)月日は永久に往いて帰らぬ旅人のようなものだ(いつまでも留ることはない)。 出典: 『 新釈漢文大系 56 続文章 月日は百代の過客にして 作品紹介 月日は百代の過客にして 意味